季節を追えない夜には
陽を浴びてじんわりとあたたかい底のない泥の中で命令されたかのようにわたしはゆっくりと足を動かすふりをする
自由の利く両手もどういうわけか動かす気になれずただだらりと落ち春の夜にときおり吹くひんやりとした風にさらされうぶ毛を立てている
目は開いているが閉じていても大差ないほどに濃く気味の悪い黒が視界の全てに広がりはるか遠くで揺れる木々のざわめきがかすかにきこえる
(2016.4.23)
誰かの夢の中で
わたしは毎日恐れながらも確実にとりかえしのつかないことを重ねていっているはずなのにどうやら考えが甘いようでして、いまいち振り切れません。
ただただ現実味がなくなっていくだけで、わたしはわたしなのにわたしがわたしとしているときわたしは別のわたしの頭の中にいて実際にいるわたしは一体誰なんだという状態です。
そもそも実際にわたしがいるという確証はなくてわたしは誰かの夢の中にいるんじゃないかなんてことを最近は考えています。春だし。
こころとからだとかいうわかりやすい説明では腑に落ちないところにいて、なにがいちばんしっくりくるかというとやはりうなぎの裏と表の話ですかね。
わりとどうにでもなれと思っているつもりではあるのですがいちばんはじめにも言ったようにどうにも歯切れが悪い。
ひどく強い破滅欲欲(と勝手に名づけたもの)からやっと抜け、正真正銘の破滅欲に成り上がったわけですがここで自分の意識が遠いんじゃあ意味がない。夢の中で破滅したって目が覚めたらなんにもないんだから。
むしろこんな毎日から目が覚めてくれたらいいななんて思ったりして、でも思ってないような気もします。
少しわかってきたのは、服を着たままお風呂に入るよりも好きなひととお風呂に入るほうがより現実味があるということです。まあ今この瞬間(家に帰る途中駅から歩きながら文字を打ち込んでいるいま)の考えであって、明日になったらかわっているかもしれない。
なんなら信号が変わって次の一歩を踏み出した瞬間にかわるかもしれない。
なにを思い出しても昔のこと
最近は言葉になるより先に涙が落っこちてそこで終わってしまう。
帰りの電車で泣くのももう慣れて乗り換えでわけがわからなくなったり、駅からの道の途中でタクシーを止めたりしない。
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大人になることは平らになることのような気がしている。
だんだん、薄々気づいてはいるけどさ、わたしは死ぬまでやわらかいままでいたいし平らに固められてしまうようなら早く終わりにしたい。
小さい頃、雲に乗れると思ってたみたいに永遠とか幸せとかそういうものに乗れると思ってる。思いたい。永遠に。
歪んだ音と歪んだ音に挟まれた澄んだ音を恥ずかしく思うんでしょう。
誰のせいでもないことが一番やっかいで、なんならそれは全員のせい。
なにも間違っていないはずなのになんでなの。