連絡帳

sssahiro@gmail.com

わたしたちはいま若い女で、みんな無条件にうつくしくてそれはつまり最強なわけです。黒々として艶やかな髪、柔らかい太もも、凛とした首すじ、うららかなうなじ、ハリのあるおっぱい、細くしなやかな指、すべすべのお腹、いま持っているものをひとつも手放したくない。儚さが綺麗に見えるのはまだなにも失っていないから。大きく伸びをして頭の先からつま先までピンと伸ばしたときのゆるやかな曲線をそう長く保っていられないことをちゃんと知ってる。わたしがわたしでなくてもそれだけは確か。だからいまは先のことなんて一切考えたくないしそんな暇があったら大きな鏡の前で輪郭をなぞっていたい。と思うのはだめですか。

季節を追えない夜には


陽を浴びてじんわりとあたたかい底のない泥の中で命令されたかのようにわたしはゆっくりと足を動かすふりをする
自由の利く両手もどういうわけか動かす気になれずただだらりと落ち春の夜にときおり吹くひんやりとした風にさらされうぶ毛を立てている
目は開いているが閉じていても大差ないほどに濃く気味の悪い黒が視界の全てに広がりはるか遠くで揺れる木々のざわめきがかすかにきこえる
(2016.4.23)

誰かの夢の中で

わたしは毎日恐れながらも確実にとりかえしのつかないことを重ねていっているはずなのにどうやら考えが甘いようでして、いまいち振り切れません。
ただただ現実味がなくなっていくだけで、わたしはわたしなのにわたしがわたしとしているときわたしは別のわたしの頭の中にいて実際にいるわたしは一体誰なんだという状態です。
そもそも実際にわたしがいるという確証はなくてわたしは誰かの夢の中にいるんじゃないかなんてことを最近は考えています。春だし。
こころとからだとかいうわかりやすい説明では腑に落ちないところにいて、なにがいちばんしっくりくるかというとやはりうなぎの裏と表の話ですかね。
わりとどうにでもなれと思っているつもりではあるのですがいちばんはじめにも言ったようにどうにも歯切れが悪い。
ひどく強い破滅欲欲(と勝手に名づけたもの)からやっと抜け、正真正銘の破滅欲に成り上がったわけですがここで自分の意識が遠いんじゃあ意味がない。夢の中で破滅したって目が覚めたらなんにもないんだから。
むしろこんな毎日から目が覚めてくれたらいいななんて思ったりして、でも思ってないような気もします。
少しわかってきたのは、服を着たままお風呂に入るよりも好きなひととお風呂に入るほうがより現実味があるということです。まあ今この瞬間(家に帰る途中駅から歩きながら文字を打ち込んでいるいま)の考えであって、明日になったらかわっているかもしれない。
なんなら信号が変わって次の一歩を踏み出した瞬間にかわるかもしれない。
すべてのことがそれくらい危うくて、グラグラのぬるぬるのツルツルの小さな小さな砂漠にわたしはいます。元気ですし、Wi-Fiもあります。充電も82パーセントあるし、Suicaには3000円ちょっと入ってます。化粧落としも持ってるし、かわいい靴と綺麗な真っ白の靴下を履いています。なので大丈夫。あんまり探さないでください。

心にぽっかり穴があくとかではなく 心ごとごっそりとどこかへ行ってしまったような 今よりかかっているものたちのせいなのかおかげなのか 自分の足の存在を忘れて 立っているのか浮いているのか そもそもここにいるのかここがどこなのか 全てがふたしかで 曖昧で 夢みたいなふわふわとした毎日が ただそこだけは確かに 淡々と流れているのです。
溶けた氷はもはや氷ではないし、冷めたお湯も同じくもはやお湯ではない。
本質なんてものはなくて 境目のない数え得ないものごとがひたすらにぐるぐると列をなし 永遠に永遠を作り続けてる。
思考が独立していることだけが救いかも。

虹の直径出してみて

煙を目に染み込ませて ふちきりいっぱいのしょっぱい水を こぼさないように家まで運ぶ (2016.2.8)

起きたまんまで外の空気吸うと砂浜で海を見てるみたいな気持ちになる 船に乗ってるときよりもどこにでもいけそう

ないことがある どこまでいってもどこにもいけない 絶望でも諦めでもなく受け入れたい 許すこととは違う

2/4

もっと現実味がなくなればいい
天国とか地獄とか北極とか南極とかのことを考える時みたいにわたしを思い出せばいい
いつだって浮き足だって霧みたくしてればいい
手を伸ばしても決して触れないくらいがいい
行きたいときに行きたいところへ行けばいい
思い通りにしようなんて思わなければいい

なにを思い出しても昔のこと

最近は言葉になるより先に涙が落っこちてそこで終わってしまう。
帰りの電車で泣くのももう慣れて乗り換えでわけがわからなくなったり、駅からの道の途中でタクシーを止めたりしない。

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大人になることは平らになることのような気がしている。
だんだん、薄々気づいてはいるけどさ、わたしは死ぬまでやわらかいままでいたいし平らに固められてしまうようなら早く終わりにしたい。
小さい頃、雲に乗れると思ってたみたいに永遠とか幸せとかそういうものに乗れると思ってる。思いたい。永遠に。


歪んだ音と歪んだ音に挟まれた澄んだ音を恥ずかしく思うんでしょう。
誰のせいでもないことが一番やっかいで、なんならそれは全員のせい。
なにも間違っていないはずなのになんでなの。