連絡帳

sssahiro@gmail.com

少しずつ肌寒い日も増えてきた頃に26歳になった

とはいっても今年の10月は暑かった

ずっと汗をかいてた

3ヶ月経って真冬になったけど、こないだ行ったディズニーシーでも、隣に人がいるベッドの中でも、会社でも、実家でも、わりかしずっと汗をかいてる

 

それから泣くこととお酒の量が減った

これってもしかして比例してるの?減っただけでやめてないからこないだ酔って帰ってはめちゃくちゃに汚い部屋の真ん中でわんわん泣いた夜中に

 

どうでもいい人を誘うのもやめた

どうでもいい人を誘ったところでなにも楽しいことは起きないってやっと気づけた

どうでもよくない人のことはたくさん誘うようにした

 

用事もないのに人の多い場所に行くのもやめた

知らない人がたくさんいるのふつうに考えて恐ろしい 今までその恐ろしさに気づいてなかったこともまた恐ろしい でも知ってる人がたくさんいるのもちょっと恐ろしい

 

あとはなんか分厚くてたくさんついてた鱗みたいなのが少しずつ取れてきた

わたしはこんなこと言わないとか、わたしってこういう時こうするみたいなしょうもない鱗たち

結構重たかった わたしの中身が陽に焼けちゃわない程度に身軽になりたいな

 

でもなんかとっても退屈だね

 

顔を洗うことも歯を磨くことも爪を切ることも本当は全部めんどうだけどここ最近は見様見真似でやっていくうちに自分をいたわる術の核だってことに気がついた 一番近い他人が自分で誰よりも仲良くしたい人 心も身体も美しくいてほしい(精神的な話ですが)と日々思ってる 他人に期待することはあんまりしないように心がけてるけど、期待したいと思える人に出会いたいという気持ちは毎日毎日大きくなるばかり 出会いたいというよりも見つけたいに近いかな 今までとは違う人付き合いの中で自分で何かを決めることが苦手な人がいるって知ったけどわたしは自分で決めることでしか喜びを感じられないし他人にもそれを求めていたみたい いろんな人がいるなぁという感想でいろんなことを乗り越えてきたけど、いろんな人でいてくれない人がいることには少しイラつく 少しではなくて結構イラつくかも ラクに楽しくなろうとしてんじゃねぇよと思う がんばって楽しくしていこうね 

 

 

足の爪をターコイズブルーに塗ったり水着買ったり今年は日焼けも厭わないと決意したりしてる

なんかもうゆるやかに全てが終わりに向かっててそんなんだったら楽しくやったほうがいいじゃんねって感じの夏がきそう なんかこれは外側の世の中のこともそうだし単にわたしの気持ちの部分でもそう

ただ終わりっていってももうダメだみたいなんじゃなくてギャルが言う「まじで終わってんねウチら」みたいなノリの終わりの方 きっと楽しく終わっていける

 

わたしの大切にしていきたいものは道端のお花とかじゃなくて高速道路のど真ん中に果物が落ちてるみたいなこと

 

今年の夏は自分のことで泣きたいな

強さや弱さや図太さや繊細さや怒りや悲しみやどちらかではなくてそのグラデーションが愛おしいと思えるわたしもあなたも全部持っててなにも持ってなくて果てしなく他人だけどいちばん近くにいて互いの感情も感覚もぐちゃぐちゃにかき混ぜて形はなくても質量はしっかりあってどこに流れ着くのかわかんないけどどこにも着かなくてもただそれだけで良いと思えるわたしがいることを誇らしく思わせてくれてありがとう

わたしは基本的に人に好かれたいと思ってる。

なので基本的に誰に対しても良い顔をするし、あなたに興味がありますよという雰囲気を漂わせることが体に染みついてるみたいでなんだかそれ以上の期待をさせてしまっていることが多い気がする。自分のことを好きな人のことが好きだけど、相手の気持ちがわたしの気持ちを上回った瞬間になんでか自分が優位に立った気になって相手をひとりの人として尊敬する心がスカッと抜け落ちてしまう。

ナメクジに塩をかけてみたり、虫眼鏡でアリに太陽光を集めてジュっとしたりしたときの後味の悪い静かな興奮に似たものを感じながら相手の心の動きを観察してしまう癖がどうにも抜けなくなってしまった。「わたしが40パーセントくらいの気持ちで言った適当な言葉が心に一生残ったりすんのウケるそれ砂利だから」とか思ってるんだよ?

わたしが不本意に呪いをかけてしまった男たちの生きるしかばねが積み上がっているのを背中で感じながらわたしは目の前の人間にまた適当に愛想振りまいてたのしんでんのよ キモッ

こんなの早くやめたいしわたしのキモさに気づいてくれる人を好きになりたい。愛されるより愛したい←ほんとそれ!

 

親元を離れて暮らし始めて2ヶ月目、親に会うと「急に大人になって…」と言われる。自覚の有無は別としてみんな自分の中のレイヤーをうまく使い分けて日々生きていると思うんだけど、相手が家族でも恋人でも仲良しの友達でも誰かしら他人と接する時に保っていたいそれがわたしは少しだけ厚い気がする。実家で暮らしていた時は親の言う「一緒に暮らしてる家族なんだから」という言葉をいなしながら嫌々それを引っぺがして生身の自分でいたから毎日少しずつ心がすり減っていってた。外で待ち合わせをして親と会うと毎回「外だとちゃんとしてるのにね」と言われてきた。そこに何の意味もないことはわかっていたけど、それを聞くたびに気持ち悪い愛想笑いみたいなものをしてしまう自分も嫌だった。お父さんお母さん、わたしは別に大人になってなんかないし部屋も放っておくとすぐ汚くなるし週1のゴミ出しもうまくいかないし振り込み忘れてガスが止まりそうだよ。それでもちゃんと暮らせているし心配しすぎないでね。外で待ち合わせをしてちょっといいご飯とか食べようね。割り勘で。

またひとつ年を重ねて母がわたしを産んだ年になった

当たり前に母としての彼女しか知らないけど、24歳の女の子だった時の彼女は今のわたしと同じように生活の中にある小さな躓きや煌めきに泣き笑い、薄い膜のような不安や根拠のない自信を抱えていたんだろうか わたしはまだまだ甘ったれたわがままな子供で、人に愛されることだけはいっちょまえに覚えたけど自分以外の誰かを身を切ってでも愛そうなんて到底思えないところにいる 16歳になって結婚が許されても、18歳になってエッチなものが見れるようになっても、20歳になって責任が自分のものになっても、22歳になって社会人って言われても、24歳になって母がわたしを産んだ年になっても全然大人になれた気がしないまま いったいいくつになったらわたしは大人になれるんだろう バブー 子供のままおばあちゃんになって死んでゆくのかしら 我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのかって感じです 大人の自覚がないながらも毎年毎年確実に年をとっていくことは事実としてあって、「まだ若いんだから大丈夫」って言われるたびにいくつになったら大丈夫じゃなくなるんですか?若いって何歳までのことですか?男性と女性で違いますか?あなたは大丈夫なんですか?そもそも大丈夫って何?あんた誰だよって思ってる わたしが大丈夫かどうかなんてわたしが決めることなのであなたはあなたの人生に集中してくださいと言いたい そう 全てはわたしが決めることなので大丈夫です 全然大丈夫 なにもかも

わたしがわたしに従って生きているだけで石を投げてくるような人に出会ってしまった時、共感する訳でも憤る訳でもなくただわたしの感情を肯定してくれる人が近くにいるって本当に心強い

大袈裟な意味ではなく生きていて良かったと思わせてくれる存在が隣にいるだけで夏場のエアコンで冷えちまった心がぽかぽかするよ 

 

どんな人がタイプ?って聞かれた時にはぐらかすために「優しい人♡」って答えたこともあるけどそういうんじゃなくて優しい人バンザイ!君を好きでよかった!このままずっと!ずっと!死ぬまでハッピー!バンザイ!このままずっと!ずっと!ラララふたりで〜

 

 

って感じです 最近のわたしは

散らかった部屋にばら撒いちゃったパズルのピースを落ち着いてひとつずつポケットに戻していくような毎日 まだまだなにかを完成させるには時間がかかりそうだけどようやく目の前のことと向き合う気持ちになってきた うまくいかなくなっちゃったことは他人のせいにしといた方が楽だからそう思うようにするけどうまくやっていけそうなのも周りの優しい他人のおかげです いい意味でへらへらと、楽しく、わたしも優しく、暮らしていけそうな気がしているよ ありがとう