連絡帳

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二十歳の夏

東京は夜の7時。ラジオの向こうでは渋谷PARCOのおしまいを惜しんでて、わたしはくるくると変わる空の色を全部覚えていたくて、今もしも手を繋いでいたならぎゅっと力を込めていた。そんな夜だよ。

視線も声も仕草もなにも全てがラブレターで、人を好きってだけでこんなにも嬉しくて、ってJ-POPの歌詞みたいなこと言っちゃうくらいに大切な夏。

難しい言葉はいらないし、おしゃれなお店じゃなくてもいいし、なにをしてもしなくても、思い出よりも綺麗な空。

カレンダーを見ても今どこにいるのかパッとわからなくて、というか7月というところに驚いてしまって少し笑ってしまう。

7月中に宿題が終わったことなんか一度もないくせにそれができるってまだ信じてる。

夏なんてあっという間に終わっちゃうって言ってる間に終わる気がする

今のは短歌です。

人を安心させるよりも自分が安心したい。

気づきたくなかったことに気づいちゃったけど本当は気づいていたような気もしていて少し気が楽になった。

 (7.22)

 

人づてに聞く、前に仲良かった子の噂。

あの子の誕生日。あの人の誕生日。

昔好きだった人にばったり会って、わたしから話しかけて、好きな人からの着信中の画面にごめんねちょっとだけ許してって思ってた終電。

7センチのヒールにも慣れてどこにでもいけそうな気がしてた。もう電車ないのに。

(7.23)

 

大きな夢を見た朝に

 

長くなりすぎた爪で返すLINEの返事は誤字だらけで、言いたいことはちっとも伝わらない。

友だちのつくったプレイリストでひとの気持ちに寄り添った気になってわたしは泣いたりする。泣いているのはわたし。そこに友だちの感情は1ミリも含まれてないのに。

季節のせいか感傷的になることが減ってきていてどこかさみしい気もしています。存在していることにたいしてのエモさ(この言葉はあまり好まないけどあえてここではそう言います)のようなものがじんわりと溢れていたいと常日頃思っているので、ギャルに憧れたこともありましたがそんなことはもうどうでもいいのだ〜〜〜〜〜〜〜なるんであればアフリカのギャルくらいふりきらないと意味がない。

わたしはなんにもかわらないよ。

わたしたちはいま若い女で、みんな無条件にうつくしくてそれはつまり最強なわけです。黒々として艶やかな髪、柔らかい太もも、凛とした首すじ、うららかなうなじ、ハリのあるおっぱい、細くしなやかな指、すべすべのお腹、いま持っているものをひとつも手放したくない。儚さが綺麗に見えるのはまだなにも失っていないから。大きく伸びをして頭の先からつま先までピンと伸ばしたときのゆるやかな曲線をそう長く保っていられないことをちゃんと知ってる。わたしがわたしでなくてもそれだけは確か。だからいまは先のことなんて一切考えたくないしそんな暇があったら大きな鏡の前で輪郭をなぞっていたい。と思うのはだめですか。

季節を追えない夜には


陽を浴びてじんわりとあたたかい底のない泥の中で命令されたかのようにわたしはゆっくりと足を動かすふりをする
自由の利く両手もどういうわけか動かす気になれずただだらりと落ち春の夜にときおり吹くひんやりとした風にさらされうぶ毛を立てている
目は開いているが閉じていても大差ないほどに濃く気味の悪い黒が視界の全てに広がりはるか遠くで揺れる木々のざわめきがかすかにきこえる
(2016.4.23)

誰かの夢の中で

わたしは毎日恐れながらも確実にとりかえしのつかないことを重ねていっているはずなのにどうやら考えが甘いようでして、いまいち振り切れません。
ただただ現実味がなくなっていくだけで、わたしはわたしなのにわたしがわたしとしているときわたしは別のわたしの頭の中にいて実際にいるわたしは一体誰なんだという状態です。
そもそも実際にわたしがいるという確証はなくてわたしは誰かの夢の中にいるんじゃないかなんてことを最近は考えています。春だし。
こころとからだとかいうわかりやすい説明では腑に落ちないところにいて、なにがいちばんしっくりくるかというとやはりうなぎの裏と表の話ですかね。
わりとどうにでもなれと思っているつもりではあるのですがいちばんはじめにも言ったようにどうにも歯切れが悪い。
ひどく強い破滅欲欲(と勝手に名づけたもの)からやっと抜け、正真正銘の破滅欲に成り上がったわけですがここで自分の意識が遠いんじゃあ意味がない。夢の中で破滅したって目が覚めたらなんにもないんだから。
むしろこんな毎日から目が覚めてくれたらいいななんて思ったりして、でも思ってないような気もします。
少しわかってきたのは、服を着たままお風呂に入るよりも好きなひととお風呂に入るほうがより現実味があるということです。まあ今この瞬間(家に帰る途中駅から歩きながら文字を打ち込んでいるいま)の考えであって、明日になったらかわっているかもしれない。
なんなら信号が変わって次の一歩を踏み出した瞬間にかわるかもしれない。
すべてのことがそれくらい危うくて、グラグラのぬるぬるのツルツルの小さな小さな砂漠にわたしはいます。元気ですし、Wi-Fiもあります。充電も82パーセントあるし、Suicaには3000円ちょっと入ってます。化粧落としも持ってるし、かわいい靴と綺麗な真っ白の靴下を履いています。なので大丈夫。あんまり探さないでください。

心にぽっかり穴があくとかではなく 心ごとごっそりとどこかへ行ってしまったような 今よりかかっているものたちのせいなのかおかげなのか 自分の足の存在を忘れて 立っているのか浮いているのか そもそもここにいるのかここがどこなのか 全てがふたしかで 曖昧で 夢みたいなふわふわとした毎日が ただそこだけは確かに 淡々と流れているのです。
溶けた氷はもはや氷ではないし、冷めたお湯も同じくもはやお湯ではない。
本質なんてものはなくて 境目のない数え得ないものごとがひたすらにぐるぐると列をなし 永遠に永遠を作り続けてる。
思考が独立していることだけが救いかも。